2026年04月02日(ももやん)
ツユクサはノーベル賞
まず、バラの花はなぜ青い花が咲かないのか?
以下は研究文献を参考
| 1 | バラはもともとデルフィニジン系色素を使わない系統だった |
| 2 | バラが青色を必要とする“特定の送粉者”を持たなかった |
| 3 | F3'5'H を持つ植物は例外的で、バラには自然導入されなかった |
| 4 | バラの色素経路は赤〜ピンク方向に特化していた |
| 5 | 人工的に F3'5'H を導入すると青色化できる=自然界では欠如 |
F3'5'H が担う役割
ペラルゴニジン(橙色)
シアニジン(赤~紫)
デルフィニジン(紫~青)
つまり、バラは青色を必要とする生態的圧力が弱かったため、F3'5'H を保持・獲得する方向に進化しなかった
バラは青色を作る遺伝子を保持・獲得する必要がなく、進化の中で自然に欠如したまま現在に至った。
| 完全な青バラを作る条件 |
| 要素 |
バラの現状 |
青色に必要な条件 |
| 色素 | デルフィニジンは作れる | 作れるだけでは不十分 |
| pH | 酸性 | アルカリ性 |
| 金属イオン | 少ない | Mg2+/Fe3+/Al3+ が必要 |
| 補助色素 | 種類が少ない | フラボン類が必要 |
| 酵素群 | DFR が非適合 | 全酵素の最適化 |
| 細胞構造 | 光散乱構造が弱い | 青色を反射する構造 |
バラ
|
ツユクサ
|
以上のように、青いバラを自然界で咲かせるのは不可能に近い。また、遺伝子を組み換えても完全な青色は非常に難しいのだ。
そこで、注目したいのは畑の隅や道端で普通に咲いているツユクサという雑草がある。この花は東アジア原産で花期は初夏から秋の朝に鮮やかに青色の花を咲かせる。
そのツユクサは、植物色素化学の最高峰とされ、植物界でもほぼ唯一の 「完全な青」 と呼ばれるのだ。
以下の表はその構造である
| 完全な青のツユクサ |
| 要素 |
ツユクサの特徴 |
青への貢献 |
| 色素 | デルフィニジン | 青の基礎 |
| 補助色素 | フラボン大量生産 | 安定化・青方向シフト |
| 金属イオン | Mg2+ 高濃度保持 | コンメリニン形成 |
| pH | アルカリ性液胞 | 青色発色の必須条件 |
| 細胞構造 | 光散乱構造 | 青色の増幅 |
※コンメリニン形成とは
Mg2+ がアントシアニンとフラボンを架橋し、6:6:2 の巨大な超分子金属錯体(コンメリニン)を自己組織化的に形成し、その結果として安定した鮮やかな青色が発現する現象。
以上のようにツユクサは、青色を作るために必要なすべての条件を“完璧に揃えた”植物界の奇跡であり、ツユクサの青は「色素」ではなく「巨大分子建築」である。
ちなみに、ツユクサと同じようにバラがこれを再現するためには以下の通り。
1. 金属イオン輸送系の再設計
2. フラボン経路の強化
3. pH 調節機構の再構築
4. 細胞壁の光学構造の再設計
5. コンメリニン形成タンパク質の導入
これらを植物の細胞システム全体を作り替えて、植物色素化学・代謝工学・細胞生物学・光学構造生物学・合成生物学などを突破して
代謝経路の再設計、細胞構造の再設計、イオン輸送の再設計、光学特性の再設計などを成功させて、自然な青いバラを咲かせる事ができる。
つまり、ツユクサは完璧な青を咲かせるノーベル賞以上級の植物である。従って、雑草と呼ぶのはツユクサにとって非常に可哀そうである。
彼こそが”雑草”ではなく、植物界の花のプリンスであることを改めて認識して、その観点から観察するとよいかも知れない。
2026年05月01日(ももやん)
情報化社会の光と影
情報化社会とは、情報が経済・生活・政治などあらゆる領域で中心的な価値を持ち、社会の仕組みそのものを動かす基盤となった社会 の事をさす。
情報化社会が生まれた背景は1960年代以降のコンピュータ・通信技術の発展、1990年代のインターネット普及とスマートフォンの登場による個人が常時ネットにつながり、情報が生活の中心へと広がった。これと並行して情報が経済価値を持ち、産業の中心になる生活のデジタル化、SNSやオンライン会議、電子書籍、ネットショッピングなどが日常化されている。
このように情報化によるメリットもある反面、情報過多・フェイクニュースや個人情報漏洩・監視社会化、情報弱者の増加と情報による依存問題等の負の面もある。
時代の流れを追ってみると日本では飛脚から始まった。その飛脚は、ある人物の情報や思いを遠く離れた人物に伝えるために、目的地まで人を走らせる職業名称の事を言う。当時としては情報を伝える事はとても日数を要したのである。また、伝承鳩も同じように足にメモを巻き付けて目的地まで飛ばした。
人は物事を伝えるために非常に興味を持った。大声で話して少し離れた相手に伝える。子供たちは糸電話(糸で繋いで相手の声を聞く)で相手の声を楽しんだ。そして時代は進み、ペリーが幕府に献上した電信機から始まり、1876年にベルが電話機を発明して遠く離れた相手の声が直接耳に聞こえる時代が来る。そして軍隊ではモールス信号(短点(・)と長点(-)の組み合わせで文字や数字を伝える通信方法)が主流となり、いつの時代でも離れた場所の情報の技術進化を遂げていった。
そして、通信はアナログからデジタルと進化して行き、有線から無線、光、ネットワークと情報は全世界共有社会となっていった。結果、個人生活から政治経済、金融・軍事など情報技術なしでは現代社会は成り立たない時代となっている。
こうした利便性は大きく社会に反映しているけれど、その技術を利用したハッカー攻撃(サイバー攻撃)は、ネットワークやシステムの脆弱性を突き、情報窃取、システム破壊、金銭要求(ランサムウェア)などを目的として不正アクセスを行い企業を脅迫したり、軍用面でも行われている。その、軍用面では軍事用衛星で全世界どこに何があるかも即座に認識でき、共有できる時代になっている。その結果、秘匿性を維持するため地下化など通信技術と反比例した負の建設や費用も必要とした皮肉な事も現実で繰り広げられている。
そこで、大変重要な情報化社会であるけれど、ネットワークは一つ間違えると負のスパイラルを持っている。誤った情報が拡散すると歪曲した非事実化が事実と誤認される。それらはボタン一つ、リターンキー(Enter)一つで世界を変える危険なネットワークである事も忘れてはいけない。
少し話を変えてアナログ時代、例えば給料の支払いは手渡しであった。1968年(昭和43年)三億円事件をきっかけに、支払いは銀行振り込みへと企業は余儀なくされた。それは何か原因があれば企業の費用負担は増えるけれど、デジタル化は一歩づつ変化していく。一昔、預金を引き出すのに銀行のカウンターに用紙に記入して現金を受け取る、そしてその流れを簡素化するために銀行内にATM(現金自動支払機)が設けられたのを切っ掛けに、今や全国どこでも端末が設置されていった。それはキャッシュレス化の始まりでボタン一つの時代である。
これらの話はネットワークとしての良い方向であるけれど視点を変えて上空をみてみよう。所狭しと現金の電波が交差している。また、それ以外にもあらゆる情報電波が飛び交っているのだ。もし、電波が人間の目で見えるならばその電波を避けて通るのは恐らく容易ではないだろう。これは今や電波のない社会はありえない時代である。そして、情報電波の中には悪意として飛び交っているのも事実だ。
ここで話を戻して要点と結論は、デジタル技術を応用して人は進化と利便性を求めて行く。しかしその技術は良くも悪くも人の考え一つでどうにでもなる。常に影では大きなリスクが潜んでいるボタン一つが存在している事を、忘れてはならない情報化社会である事を。
2026年06月10日(ももやん)
児童とは
「児童」という言葉は、「児」と「童」という漢字が組み合わさってできた言葉です。どちらの漢字も「こども」や「幼い者」を意味
していて、心身ともにまだ十分発達していない子供の事を言う。
児童福祉法を取り上げると、「すべて児童は、ひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない」という理念を掲げています。子どもは保護されるべき存在であると同時に、ひとりの「権利の主体」として尊重されるべき存在であり、国や社会全体でその健やかな成長を支えることを目的としています。と、言われている。つまり子供(児童)は大人が守らなければない環境である事なのだ。
法律における「児童」の定義は18歳未満を指す。つまり18歳に満たない人を児童と呼ぶ事になる。しかし、例えば高校生を児童と呼ぶ人は恐らくいないだろう。一般的には学生や高校生と呼んでいるのが実情だ。
では、児童は18歳未満という事だとすると、0歳から対象になるが、年齢による実際の呼び方の区分けは異なる。生後0日〜満1歳未満を乳児、満1歳〜小学校就学までを幼児、そして児童は学校教育法の定めで小学校に通う児童6歳〜12歳の人を指すようだ。ちなみに中・高校生は生徒と呼ぶ。
確認のため「学生」と「生徒」「児童」の違いは学校教育法による分類されている。児童は小学校、生徒は中学校や高等学校、学生は大学や専門学校とそれぞれ呼ばれているけれど、これらの18歳未満は、すべてどのように呼ばれて言おうが児童なのだ。
少年に至っては少年法における「少年」は20歳に満たない者を言う。そして、民法の成人年齢引き下げ(18歳)により18歳・19歳は特定少年と呼ぶ。さらに少年法の解釈によると14歳未満は触法少年、14歳以上17歳以下は犯罪少年と位置づけられている。
つまり、少年も児童も呼び方の対象年齢は法律で定められているものの、民法や学校教育法などで詳細に呼び方の区分けをされているのだ。これは非常にややこしい。次に、学校や施設の場合、これまたややこしく、保育児、幼稚園児、小学、中学、高校、大学と年齢を増すごとに通う学校名や呼び方が異なってくる。具体的に小学から高校まで名前の語尾に校が付くが大学だけが大学で校が付かない。そして先ほど述べたように年齢を増すごとに呼び方が変化する。最終学歴の学生(入学時)も児童なのだ。
改めて、18歳の誕生日前日は児童であり翌日は成人で選挙権も取得できる。もう一度書くけれど、1日前までは児童だった人が翌日は大人である。これは違和感というよりも"児童"そのものの言葉の概念である。一般的に児童と呼ぶと誰もが思い浮かべるのは小学生が対象となるのが自然だ。
しかし問題の核心は法律による定義で18歳未満は児童と定められているにもかかわらず、学校教育法、少年法の縦割り行政内の既得権益で名称を細分化していることが混乱をまねく原因である。
いずれにしろこの記事を読んでいる人は、"呼び方なんてどうでもよいのでは"、"分かった、分かった18歳未満は児童だろ"と、言われればそれまでだけれど、大人になるまで多種多様の分野で年齢と呼び名が、わざわざ細分化をして呼ぶこと自体がややこしいのである。
では、どうしたらすっきりするのだろうか。
簡単である。18歳未満は未青年、18歳以上は成人、これでよい。そして、保育園、幼稚園以外の小・中・高・大すべて"学生"でよいのだ。これにより、凄く分かりやすい。乳・幼児以外は未青年と成人しか存在しない。学ぶ人は全て学生、これが横割り社会ではないだろうか。
それと本題から外れるけれど老人や高齢者の呼称も違和感を抱かざるを得ない。
2026年07月06日(ももやん)
保育園児と幼稚園児
日本の保育園の起源は1890年(明治23年)に新潟県が発祥で女子生徒が安心して学べるように幼児を預かる仕組みを作ったのが始まりで幼稚園は1876年(明治9年)東京文京区の東京女子師範学校附属幼稚園が日本における幼児教育の基盤を築いたのが起源である。
教育の観点から見ると保育園は環境の違いや集団生活に慣れさせ、幼稚園は小学校入学前の集団生活などの基礎を学ぶ事で、さほど違いはないけれど、どちらの園に通わせるかは保護者の事情で判断される。
よく勘違いされることは保育園に通わせて、次は幼稚園にという流れが一般的な見解になるが、実は少し違うのだ。
保育園は小学校入学直前まで通う事ができる。幼稚園は年少、年中、年長で3歳から5歳、そして小学校へと、つまり保育園は0歳児~6歳児が対象で幼稚園は満3歳児〜6歳児が対象となる。
このことから保育園は0歳から預かるという事は、両親が仕事等の関係でわが子の育児を見てもらう施設だという事。幼稚園は3歳未満まで親が自宅で面倒を見て、満3歳で幼稚園に通わせる施設である。
園に通わせるという事は、小学校入学前までの子供は保育園や幼稚園に通わせなくても義務教育ではないので親の判断に委ねられる。しかし、近年は幼稚園等に通わせないのは、ある意味虐待だと言う保護者もおられる。つまり、園はほぼ義務教育化傾向になりつつあるのだ。
そこで、今回のテーマである保育園児と幼稚園児の違いを、少し違う方向から考察してみたい。
まず、経済力がある親は、ほぼ保育園には入れないだろう。何故なら働かなくても家で子供の世話をできるからだ。一方で、保育園に通わせる両親は経済力か、あるいはビジネスを優先にしているかどちらかであるが、実際は共働きしながらの育児環境が主である。勿論、幼稚園に通わせる両親もそのような理由もあるかも知れないけれど、いずれにしろ保育園と幼稚園に通わせる判断理由は二つの側面が垣間見える。
これらの観点から通わせる園の違いによって、親の偏見が生じる事がある。それは、幼稚園に通わせている親が"あそこの家庭は保育園に通わせているけど大変ね"と偏見の目で見る事だ。その言動の真意は経済力の格差の事なのか費用の事なのかは定かではないけれど、仮に経済力の違う格差社会はどこの国でもある。けれど、保育園も幼稚園も園児にとっては、なんら変わりはないが、何を基準に"大変なのか筆者は理解に苦しむ。しかしどんな事情があろうと、育てる環境が違っても育児をする親はすべて、平等で同等である。
また、保育園卒業と幼稚園卒業を対比する保護者も見受けられるが、それ自体を比較するのもおかしいのである。勿論、子供たちはそんな事は微塵も考えていないだろう。それらの考えをする親の偏見は、将来子供にも感染する恐れがある。それらが連鎖すると人間同士の誹謗中傷に発展する事が危惧されるのだ。
この通園の関する偏見問題は園に通わせる全ての保護者が抱えている訳ではない。一部の保護者による言動が格差社会を助長しているそのものが問題であることだ。その昔、病や部落(集落)に根拠のない噂を社会に広げ、人権差別を繰り広げた歴史が残っている。それでも、いつの時代でも多かれ少なかれ多様な偏見が見受けられる。その格差を生み出す社会構造そのものを一人一人が意識改革しなければ、このような偏見言動が繰り返されるだろう。
偏見は心の中にある「思い込み」や「かたよった認識」で、その思い込み(偏見)を理由に、特定の相手を避けたり、不利益な扱いをしたりする「行動」が差別化を引き起こす。地球上の人類は他の動物と違い、知識があるが故に悲しい連鎖を生み出す動物であることを忘れてはならない。
人は欲があるが故に偏見と差別を生み出す恐れがある動物である
2026年07月12日(ももやん)
「え」と「へ」の違い
例えば、「東京へ行く」、「東京え行く」は、明らかに東京へ行くが正しい表記である。つまり「何々へ」と「何々え」はまったく同じ意味だが、 正しい表記は “へ”のみであり、発音が“えになるだけで、「何々え」という表記は誤で、「何々へ」だけが正しい日本語の助詞という事になる。
そして明確な違い
表記の違い
へは正しい助詞の表記、えは助詞としては存在しない(誤表記)。
発音の違い
助詞の へ は 必ず「え」と発音する
意味の違い
へ(発音:え):方向・行き先を示す助詞
えは助詞としての意味は存在しない
では、なぜ「へ」と書いて「え」と読むのか? 日本語の助詞には慣習的な読みがあり、は→わ へ→え を→おのように、表記と発音が異なるものがあるように「へ」はその一つで、助詞として使われるときだけ “え” と読む。
以上のように文献では記されている。だが、発音は仮に”え”なのに”へ”と書く事が、日本語の助詞には慣習的な読みとなっているとすれば、慣習的な読みがどうしてこのようになるのか? さらに、いつの時代からこのようになったのか?が問題である。
それらを調べると、助詞「へ」を“え”と発音する慣習は、古代日本語の音変化と表記慣習がズレた結果であり、平安時代にはすでに成立していて、千年以上前から使われていた。
また、平安時代以前、奈良時代(8世紀)ごろは助詞「へ」は“へ”と発音されていたが、平安時代に入り、母音の弱化・音便化が進み、助詞の「へ」は“え”に近い音へ変化して「へ」と「え」のズレが始まったのである。そして完全に定着したのは、室町〜江戸時代には完全に「え」読みが一般化した。
ようするに助詞「へ」は、もともと“へ”と発音されていたが、平安時代以降に“え”へ音変化した。しかし、表記は古いまま(へ)で固定されたため、書き方と発音がズレた。
つまり「慣習的な読み」は歴史的仮名遣いの名残である事。そして表記を「へ」のまま残した理由は文法上の役割を区別するため助詞は「機能語」なので、表記を固定したいため発音が変化しても表記は変えずに残したかった。なので現代の「慣習的な読み」は歴史の名残である。
まとめると、助詞は「文の構造を示す記号」だから表記を変えない、発音変化は自然現象、表記は人間が決めるもの、平安時代に音が変わり、江戸時代に完全定着して発音が変わりっても表記はそのまま残った。
以下は参考文献
「は・へ・を」以外にも、昔は発音が違った仮名の一覧
ゐ(wi) → い(i)
ゑ(we) → え(e)
を(wo) → お(o)
※助詞以外でも「を」は “お” と発音されていた
じ(zi)・ぢ(di) → じ(ji)
ず(zu)・づ(du) → ず(zu)
お・を(wo) → お(o)
かゝ・がゝ → か・が(促音化・連濁の変化)
は行の子音が “pa → fa → ha” と変化
最後になぜ「は・へ・を」だけ表記を残したのか?
助詞が「文法記号」で、文章の構造を示す記号であり、発音よりも「形(表記)」が重要視され、文章の骨格を作るため、表記を変えると文法が混乱するという強い懸念があった。その他の仮名は「語彙(単語)の読みやすさ」が優先されたからである。
結論
助詞は単語ではなく、文法構造を示す記号であり、発音が変わっても、ズレが生じても助詞の形は絶対に変えない強い保守性を持っていた。