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2021年12月03日(ももやん)photo→花の写真素材屋 素材 言葉の意味 空はまだ薄暗い早朝の砂浜で、A・B・C・Dの人が水平線から太陽が出てくる方向を見ている。AがB・C・Dをそれぞれ入れ替わり水際先まで連れていき、独り言のように”もう上がるね”と呟やく。 A以外は男性で、尚且つB・C・DはAに対し特に好意を抱いていない。そして、その言葉に対してどの様な会話を交わしたか調べようと思う。 そこで、それを聴いた最初のBは”どうして?”と答えた。次にCは”あの方向?”と答え、さらにDは”綺麗かな?”とそれぞれ答えた。 Bは、もうこの場所を離れたいか、間もなく上がるだろう太陽を一緒に見る事を期待したか?次にCは上がるのは当然太陽と思い、その方向を教えた。そして、Dは水平線から上がる太陽を共に感動する。それぞれB・C・Dは太陽が上がる事は意識しているが、Aの言葉の対応がそれぞれ微妙に違う。 Bは言葉の意味が太陽なのか帰るのかをAに問い質している。Cは太陽と結論し、昇る方向をAに教えている。Dは太陽が上がるのを共に共通意識としている。 例えば、会社の上司をB・C・Dとし、部下をAとした場合、BはAの考えを促す。Cは自分の考えをAに促す、そしてDは共通認識としてAに促す。 会社にとって最も重要なのは経営側と社員が方向性(太陽が上がる)は一緒でも、社員との多様性(言葉の思考)がなければ会社は発展しない。B以外のC・Dは、意見の共有・強制の方向性になる。何気ない普段の言葉が、その人の性格または性質に現れ、結果的にまわりの人はマインドコントロールされる。 また、Aを女性に例えたのは異性が違うほど会話が慎重になる。人の性格を変える事は難しいかも知れないが、言葉ひとつ変えるだけで、相手も自身も将来何かの利益が得られると思う。 |
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2021年12月12日(ももやん) 透明 人は色を見るためには眼球の網膜で光を反射して見る事ができる。光は電磁波の波長により異なり、人の目で見える可視光線の幅は限られ、波長幅400〜800nm位で低い方は紫色・高い方は赤色でその値以上、値以下は紫外線・赤外線の不可視光線なので見る事はできない。人の目の網膜は何かしらの色がついているので屈折できる。 そこで、眼球の網膜を透明にして屈折出来ないのか?透明=”濁りのない透き通った状態”、色ではない。透明度100%の固体が可視光線全てを屈折できたらどうなる? 例えば、100パーセント可視光線を屈折しない生物がいたら透明生物で、当然人には見えない。X線(レントゲン線)を完全に透過できる生物がいたらこれも透明生物で見えない。事実、半透明の魚が存在するが、恐らく可視光線を80%以上透過する組織だと思われる。その目だけが光を屈折するために色が付いている。 つまり、人の眼球網膜が透明で可視光線を屈折でき、尚且つ体が可視光線を透過したら、透明になると言う事。その昔、”透明人間”と言う映画があったが、目を透明にしたら見えないはずだが、見えていたので透明網膜の眼球で可視光線を屈折できる技術をクリアした映画と言う事になるだ。 この技術が克服したら全ての人間は透明になれる。しかし問題は、人は透明になって一体何を得られるのだろうか? |
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2021年12月16日(ももやん) photo→花の写真素材屋 素材 夢 将来貴方の夢は何ですか?と、よく聞く言葉である。この場合、自分自身将来の希望・目標・達成等だが、”夢”だけの単語を考えると人が睡眠状態で夢を見る事。その夢は非現実的な夢と自分を取り巻く延長線の夢など様々で、夢の内容全てが現実的にはならない。だから”夢”と、”将来貴方の夢は?”相違に値する。 そこで”夢”とは何か?を考えたい。夢其の物の解釈・説明はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)で記述されているので敢えて説明はしないが、よく人は”今日こんな夢を見た”と話す。その夢の内容は登場人物・物は現実に存在し、それは現実の延長の夢。また、実在しない人物・実在する物を合わせた想像の夢、そして全てが実在しない空想の夢と様々である。例えば、著者が見た夢は、自分自身が鳥のように空を自由に飛ぶ夢で、意味もなく上空から下界を見ていて只々手をバタバタさせて飛んでいる。そして不思議と段々下降していくので必死になって上昇を試みるが最終的に落下する夢である。その時点で”夢”が覚める。 飛べるはずがない完全な空想だが、二度寝をし、もう一度同じ夢を試みるが果せない。これは或る日、公園で鳥が自由に飛ぶのを観て”自分も鳥になれたら”の強烈な興味を夢に置き換えている。そして夢の延長は、もう現れない。 夢は人其々が普段気になること・気にしている事・思っている事を脳は想像している。同じ人物・同じ場面を度々夢を見る人は、其の事に対して普段脳から離れない。夢で困難な仕事が解決した。でも目が覚めたら、現実は何も解決していない。普段そう思っている延長線の夢、夢で解決した内容を現実に行動・応用しても何も変わらないし進展がない。そう、夢と同じことは現実では解決できないが、普段の思考を睡眠時に脳がヒントを与えているかもしれない。それは仕事に例えたら、後は努力と閃きなのだろうか? 妄想の夢は必ず自分が主人公になり描写され、非現実的だけど、その夢の中は現実のように繰り広げられるのだ。”夢で良かった”、”夢の続きを観たい”は、人の想像力の延長かは正しいかどうか解らないが、ただ、人が夢を観る証拠は、脳波で睡眠状態を解明しても夢を観る根拠ははっきりしない。 最後に、夢で観る風景・場面は、目を開けていないのに何故現実と同じように描写されているのか?それと、第三者の目で自分の姿・顔を見ている夢はない。 |
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2021年12月19日(ももやん) 生命 ハエ男の恐怖と言う1958年アメリカで放映されたSF映画で、物理学者がAの装置からBの装置へ物質を移動させる実験をしていたが、或る日、自分自身を移動しようと考え、その移動装置に自分自身が入った時にハエが入り、そのまま移動された結果、自身は体の一部と頭がハエになり、ハエはその逆になった。これは遺伝子の混合組み換えの内容だが、その28年後”ザ・フライ”と言う1986年同じアメリカ映画で公開され、”ハエ男の恐怖”とほぼ同じ内容のリメイクで公開し、更にその3年後”ザ・フライ2 二世誕生”が続編された。 それらの映画は、全て人間と他生物の遺伝子組換た結果のSF内容だが、映画の最初の公開から63年経った現在、動物・植物実験等の研究開発が行われている。 特に植物等は盛んで、食品等に”遺伝子組み換えはしていません”と見受けられる事がある。これは栄養素または害に強い植物で生産された遺伝子操作した食材ではないと言う表記だ。けして遺伝子組み換えは悪い事ではない。 問題は、映画のような人を遺伝子操作する事で、遺伝子を研究する事は問題ないが、人と他の生物を掛け合わせることは倫理的タブーであり、人間の存在を否定する事で、あってはならない。しかし、反面、死亡した人を冷凍保存し未来で蘇生させる、また、永久に組織が退化せず死なない”人”の研究は、様々な議論、賛否両論がある事も事実。 いずれにしろ人の医療研究は生命を守る事である。映画は映画で終わってほしい。”ハエ男の恐怖”の映画で最後に”頭がハエの人間を殺すことも、頭が人間のハエを殺すことも同じことで、あなたも人殺しだ”とラストを締めている。 |
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2021年12月21日(ももやん) photo→花の写真素材屋 素材 テスト問題 例えば、試験問題でA・B・C・Dと4人の人がいて、AはCを知っているがB・Dは知らない、BはDを知っているがAとCは知らない、またCはBを知っているがAとDは知らない。最後にDはAを知っているがBとCは知らない。それらの関係で、DがAからCを紹介し、AはCからBを知ったら4人の中で知らない関係はどの組み合わせか?※解答用紙にはメモ書き禁止。という問題で、どの様に考えるのだろう?この場合は、組合せを求める問題なので、人其々は解答の導き方が違う。 そこで、この問題が時間制(〇分で答えなさい)だとしたら、どの様に対応したら良いのだろうか?。時間制となると、取敢えず全文を素早く読み、問題の趣旨を理解して考える。時間がないので全文は読まず、組み合わせを一つ一つ記憶する。次に、考えているより図を頭で描き、解決していく。そして、A・B・C・Dの組合せの消去法で導く。更に次の問題で、”貴方は今北の方向に歩いています。最初の交差点を左に曲がり、突き当りを右に曲がって更にその先の交差点を右に曲がると、貴方の後ろはどの方角か”と、問われた場合も、ほとんどの人は、読みながら頭で描いて最後に東西南北を照らし合わせる。また、最初に東西南北を頭で描き、最後の方向を頭で描く。 ここまで皆さんは、二つの問題を読みながら既に解答が得られていると思います。この問題文章の趣旨は、実は解答を探すのではなく、人其々がどの様に文章の内容・考え方を導き出すかの思考・推測テストです。 一つ一つ解決していくタイプ、全体を把握して解決していくタイプ、問題の趣旨を理解し導くタイプ、またはそれ以外と其々分かれます。 例えば、会社の上司が部下に対して、この様な問題を定義した後、部下の解答後に問題の正誤ではなく、それぞれの解答への導き方法を聞き出して、部下其々の思考を導く。正誤を期待した部下は意外性に気付くが、最初から”君はどう解く?”と聞かれたら、”より良い解答方法を模索する”それでは意味がない。また、正誤の解答も重要だが、問題の趣旨を導き出す方法と結果は、双方に利益をもたらす可能性がある。答えは敢えて出さない問題でした。 |
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2021年12月26日(ももやん) アフェリエイト アドセンス合格へ アフェリエイトは(成果報酬型広告 ウィキペディア参考)簡単に説明すると、サイト・ブログに広告(バナー・テキスト)が貼られアフィリエイト・サービス・プロバイダ(広告企業ASP)が仲介に入り、ユーザーがそのサイト広告にクリックする事で、成果が得られた場合等、広告主から報酬を得られる仕組み。 そこでこの様なASP企業が数社ある中で、Google社が運営しているアドセンスについてお話をしたい。著者はサイトを開設して17年近くになり、お花を題材にしたホームページ用の花素材を無料で配布している。開設当時、サイトの知名度を上げる為に、素材サイト者同士でリンクバナーを貼り、また素材集サイト等を利用して相互リンクを貼る事でアクセスアップを図る時代、そうした中、ポータルサイト(ヤフー)の素材カテゴリーの欄に、自分のサイトが掲載された時は一つのステータスだった。 それから時は流れ、ヤフーが素材カテゴリーを削除された為、その後どうするか模索している中、アドセンスに申請をしたらすぐに契約できた。当初の目的はサイトの体裁を上げる為の目的。 広告収入は期待しなかったが、同業他社(者)の相互リンク等のお陰でアクセスUPと収益が右肩上がりが続いた。そのサイトの内容を具体的に説明すると、今で言うブログなどの記事は一切書いていなく、花の加工写真、利用規約、素材作成方法だけのカテゴリーのみだった。 その後、諸般の事情によりサイトが休止状態(更新中止)が続いていた頃、ある日サイトを確認したら、アドセンスのリンクが無くなっていた。その間、時折アドセンスからメールと手紙が何度か来ていたが、その理由は私の事情等で内容を確認しなかったのが原因だったかも知れない。その後事情が一段落してサイトをリニューアルオープンし、素材作りを再開して行く中で、アドセンスの事を思い出し、以前と同じように、軽い気持ちで審査内容など状況等確認せず、普通に申請したら見事に不合格のメールが届いた。 その内容は様々な事が書かれていたが、不合格の理由は一切書かれていない。そこで合格する為に自分のサイトを洗い直すことにした。 ここから先の内容はアドセンス合格の奮闘記をお話ししたい。結果的に4回目で合格したが、訂正・追加・削除等数多く修正し、1回〜4回申請迄の経過を箇条書きにて説明します。 1回目申請 私のサイトはブログではなく、TOPページに各素材カテゴリー・他の素材サイトバナーリンク・素材作成の説明・利用規約・メールアドレス・サイトマップ等、階層ディレクトリで構成し独自ドメインで運営。(この状態で不合格) 2回目申請 1:利用規約の一部修正※当サイトは著作権を放棄していたがプライバシーポリシー重視の為、著作物全面保護に変更 2:各ブラウザで再度文字化け・圧縮画面で文字崩れを確認 3:メール画像表示(コピペ防止)をテキスト表示に変更 4:TOPページの位置・レイアウトの変更 5:リンク切れ削除 3回目申請 1:TOPページの素材関係のリンクバナー・テキストリンクを全面削除 2:プライバシーポリシー、クッキーのファイル追加 3:お問い合わせフォームの追加 4:メールリンクの追加 5:レンタルブログサイトの非公表の記事(ブログ)を階層ディレクトリにファイルを作成し、TOPページにテキストリンクを貼る(プロフィール・画像付き)※同時にレンタルブログサイトの記事削除 6:その他全ページの細かな修正 7:他のアフェリエイトプログラム誘導欄に外部サイト案内を追加 8:サイトマップの見直し・追加 9:SSLの設定(http://→https://) ※結果通知メール2週間以上 4回目申請 1:他のアフェリエイトプログラムの全面削除 2:TOPページ画像(メインの花)・季節の花の説明記事を追加 3:申込時アドセンスのscriptリンクを必要なページ(TOPページと他3ページ)のみに変更(以前は全ページにリンク) 4:プライバシーポリシー違反の確認、見直し 5:申請中に記事の追加(2記事)※申請中読まれたか、どうかは定かではない 6:利用規約(素材)の全面表現変更(プライバシーポリシー、制作物保護、サイトの所在情報) 大まかに説明すると以上ですが、全体にTOPページの変更、素材の利用規約見直し等に奮闘していたが、恐らく結果的に3回目申請のブログ記事の追加、4回目申請中でもブログを追加した事で、合格したと勝手に思っています。私の記事は題材を意識するのではなく、普段、気になる事。思っている事・興味がある事・疑問な事・経験した事を記事にしています。 個人の日記を公開しても、有名人ではない限り読んではくれません。私の場合はブログを通して、一つの情報、思考の提供で”皆さんはどう考えますか?”を問う内容です。その様なブログを一人で呟いてもいいのですが、ネット社会の現在、記事を公開し情報共有して何かに適うであれば、それで良いと考えています。現在はネット社会で、疑問・知りたい事は検索すれば、ほぼ全てが解決してくれる。しかし情報の発信内容は良きも悪きも発信され、それらの情報を私達一人々が思考する課題だと思います。最後に宣伝になりますが、このサイト花の写真素材屋と時事通信屋を参考にして頂ければ幸いです。 |
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2021年12月31日(ももやん) photo→花の写真素材屋 素材 証明 推理作家森村誠一氏の”人間の証明”という小説がある。これは米国黒人の間にできた子を殺害してしまう内容だ。後にその父親は子供と共に母国米国に戻り、母子が離れ離れになる。母親はその後、著名な存在となった矢先、子供は自分を生んでくれた母を求め、感謝と出会いを伝えたく日本に来日する。そして、それを知った母親は、混血児を持つ自分を攻め我が子と、その事実を知っている男を殺害する痛ましい内容だ。母親は地位と名誉を守り、過去の異人種との関係を拒絶した結果の行動、そして子供の方は、ただ母親に逢いたい純粋な心と、母に刺されても死に至らなったが、母親に迷惑を掛けたと、自分で更に自害する行為で息を引き取った、とても悲しい小説である。 これは、戦時中の男女の社会構造変差、地位・名誉をも守る過去の歪曲等を現代をどう思考するかを問う小説。著者がもし、この立場(母親)だったら我が子か、名誉か、問われると我が子を選択する。でもこの小説では排除の対象を、地位・名誉を維持できるなら、例え我が子でも選択肢(殺害)はある可能性を指差している。 作家森村誠一氏は、恐らくこの小説で、どんなに地位、名誉が有っても、過去の事が表に出ても、恥じることなく自分を正しく証明しろ、人の命を秤に掛けるなと言っているかもしれない。人の過去の記憶、自分にそぐわない記憶は消すように試みるが、不思議と永遠に脳裏に残る。人は其々の過去を持ち、生き続けるが、その過去が発覚した時”それを証明しろ”といわれたら、証明の証明をどう対処するかは、その人次第で第三者は解らない。 角川映画「人間の証明」の”母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?ええ、夏、碓氷から霧積へゆく道で、谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。母さん、あれは好きな帽子でしたよ・・・・”これは詩人”西條 八十”のぼくの帽子の一部で、この映画の登場人物の子供が親に対しての愛する気持ちの証明が伝わってくる。 |
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2022年1月6日(ももやん) AIと確率 AI(artificial intelligence)とは人工知能の事。ある分野を考える時、その情報をコンピューターに記憶させ、プログラムのIF関数AND,OR,NOT等の条件書式関数で答えを導いてくれる。 例えば、IF((A>B)=1,0)の様な書式があったとして、その内容は、もしAがBより大きければ”1”それ以外は”0”を返す意味で、関数を組み合わせてコンピューターに命令処理させる。条件内容に依ってはコンピューターは人間よりもはるかに早い処理ができる。 そこで、人間とAIに次のような条件を与えて、どの様な結果を導くのか考えたい。3本の電線、赤・青・白があり、赤がプラス、青がマイナス、白がアースとし、人間とAIにその情報を与える。そして、何れか1本の電線を切断しないと、稼働している機器が停止し重大な影響と命に係る危険を及ぼし、更に与えられた時間5分で決断しなければ機器は停止する条件を人間とAIに与える。 5分以内で何れかの電線を切断する決断を求められているが、この場合、人間もAIも予備知識の赤がプラス、青がマイナス、白がアースだから、プラスとマイナスで通電するので白のアースを切断、または赤がプラス、白がアースで通電するので青を切断と、人間もAIも同じように思考するはずだ。更にまったく逆で青がマイナス、白がアースを通電とし、赤のプラスを切断する考えもある。 次に、思考時間を与えず猶予を持たせないとすると、最後は3分の1の確率問題だが、百分率で表すと100割る3で33.333・・・・・%と割り切れない。つまり0.0000・・・%と無限に続くので正確な確率計算が出来ない無限確率だ。切断の選択は恐らく杓子定規にはいかない。人間もAIも其の事が承知の上だとすると、”運”と”感”と”自信”しかなく、答えがない決断を強いられる。 その答えがない結果を、人間とAIはどう導くだろうか?人間は残り時間と共に決断を強いられ、最終的に何れかの3択を決行するが、AIは0と1の判断、ON.OFFまたはYESかNOの答えが導きだせないまま、自爆(切断できず)するのか? 例えば直線の長さを測るのは、始まりと終わりを測れば答えが出るが、円周は始まりと終わりが無いので正確な長さが測れないで永遠と計算思考する。もし、仮にAIが”運”、”感”で判断したら結果の責任は人間と同じで、AIは必要なくなる。しかし、AIが確率を100%的中できたら、もはや人間は必要なくなる。人間に仕立てたロボットが感情(喜怒哀楽)、倫理、確率論を完全プログラムされたら、ロボットは人間を征服する産物になるかも知れない。でもこの問題は、最終的に人間は4分59秒まで考え、答えのない決断を下して自滅か成功の結果をだす。、AIは5分丁度まで計算して答えが出ず自滅する。結果、人は二者択一(生と死)を選択し、AIは与えられた条件以外の究極の選択(倫理・思考)は出来ない。 AIの技術は各分野に広がって日進月歩で発展し、経済成長に大きく貢献して行くが、この究極の”どうする”問題は、AIに倫理や感情を持たす事は超えてはならない一線なのだろうか? |
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